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降りられるか

楽しいかどうかでは、分けられない

2026.8.30

好きでやっていることと、やめられなくなっていること。

外から見るとこの二つはよく似ています。どちらも続いていますし、時間もお金も注いでいる。周りから見れば熱心な人というだけの話。

厄介なのは中から見ても似ていることです。

楽しいかどうかでは分けられません。やめられなくなっているものも楽しいんです。むしろ楽しい。楽しいから続きますし、楽しいから抜けられない。

もう楽しくないのに続けているならそれは惰性です。

では、何で見るのか?

降りられるかどうかです。

やめようと思えばやめられる。今日はここまでにしておこうと決められる。明日は一日やらないと決めてその通りにやらない。そういうものは遊びです。

何時間やっていようが、いくら使っていようが、降りられるなら遊びのままです。

やめたいのにやめられない、やめると落ち着かない、それがないと一日が回らない。こちらは楽しくはあっても遊びとは呼びにくい。

判定に量は関係ありません。一日三時間やっていても、明日はやめておこうと決められるなら降りられていますし、十分しかやっていなくても、その十分をどうしても飛ばせないなら降りられていません。時間の長さも頻度も使った金額も判定の材料になりません。

量では測れないんです。

分かりやすい例は酒やギャンブルですが、これは対象を選びません。仕事でも趣味でも起こりますし、運動でも勉強でも人との連絡でも色々なところで起こります。

休みの日に何もしないでいると落ち着かない。これも同じ形をしていませんか?


ここで降りられない状態を意志の弱さで片づけると、話はそこで終わりです。

起きているのは別のことだと思います。やめた瞬間に何かが出てくるんです。そわそわする。手持ち無沙汰になる。何となく不安になる。それを消すためにまた手が伸びる。

楽しいから戻っているのではなく、落ち着かないから戻っている。

順番が逆なんです。

楽しいことをしているというより、楽しくない状態から逃げている。

この判定は頭でやるより身体を見たほうが早いと思います。

一日やめてみてください。それだけでいい。

呼吸がどうなるか?
肩が上がるか?
手が勝手にポケットへ行くか?
何度も時計を見るか?

出るなら出ます。出ないなら出ません。

考えて答えを出す必要はありませんし、身体のほうが先に答えているんです。

出たからといってそれで何かが決まるものでもありませんし、落ち着かないなら落ち着かないまま、一回息を吐いてみれば良いんです。深く吸う必要も長く座る必要もありませんし、反応が出ている自分をそのまま置いておくと、そこに少しだけ隙間ができます。

その隙間があるときにだけ選べます。今日はやる、今日はやらない、どちらでもいい。決めたほうを選べる状態になっているかどうかです。


この判定は一度やったら終わりというものでもありません。去年は降りられたものが今年は降りられなくなっていることもありますし、抜けられないと思っていたものがいつの間にか手を離せるようになっていることもあります。

人は変われます。

判定もそのたびに変わるんです。

時々やってみてください。一日だけ手を離して、そのとき自分の身体に何が出るかを見てください。

楽しいかどうかは、あてになりません。

身体の反応を見てください。